冬は スキーと ともに

子供の頃 現在のミニスキーのような 手作りの竹スキー

小学校高学年 祖父が長さが1m以上もある竹製スキーを作ってくれ

祖父の林檎園近くの牧場で滑る


19歳 大学の体育の授業で ほんまもんの スキーをはく

はいて すぐ転ぶ人が続出 なんでこんなに滑るん

竹スキーの比ではない

北海道や山形 雪国出身の人の中に 見事に滑り 曲がっていく人が


20歳 スキー場ちかくの温泉宿に泊まってのスキー合宿 

受講すれば単位が貰える ということで これは一石二鳥と参加 

2泊3日でシュテムまでいく 結果 ここで スキーにどっぷり嵌る


その後は お金の許す限り 一人ででも 電車とバスで スキー場通い

雪焼けでガングロで 構内で同級生に合うと ○人みたい

学生協で求めた185cmの木製のスキー 紐のスキー靴 

ワイヤー式のビンディング  現在のスパッツの様なスキーパンツ

行く先々のスキー場で スキー教室に入るも 三者三様の教え方

シュテムからパラレルまでの道のりの なんと遠かったこと

現在の指導法とスキーの性能からは とうてい考えられない

  

社会人になり 勤務したところに 指導員を目指す女性先輩がいて

万座 野沢温泉 八方尾根 と いろんなスキー場へ 

バッジテストを受けるよう 何度も勧められたけれど 楽しむだけ

3年後 関東から東北に引越し 八幡平 田沢湖のスキー場へ

雪質 最高! とまた楽しむだけ


数年後 子供が12月に生まれるとわかり スキーができない と真先に

スキーができない冬なんて 考えられない と本気で。。。

誕生後は 考える暇も 自分の時間も なくなり その年は過ぎ。。。


翌年 子守代わりに母親をかりだし 家族でスキーへ

子供らは 歩けるようになるとスキーを履かせられ 飽きると ロッジ

で遊びながら 食べながら 親を待つ。。。。という親の身勝手さ

冬のボーナスがスキー関係できえてしまう生活が15年

そんなこんなで 子供たちも 腕を上げ始めた頃 

こちらは間違いなく 下り坂


これではいかん 証拠を残さねば とバッジテスト を受けることに

43歳で 初めてのバッジテスト しかもいきなり2級  ぎりぎり合格 

しかし この緊張感がただものではなく もうこれっきり。。。と


子供らの高校受験が始まり 家族スキーは封印

スキーをしなくても 冬は越せる 生きていけるんだ 

と あらためてきづかされるほどの スキーかぶれでした


その後 7年間 まったく スキー場から離れていましたら

世の中 カーヴィングスキーになっていました

はいてみると 短いし 軽いし 本当に簡単 

初心者でも あれよあれよ というまに パラレルが


私の パラレルまでの道のりを ことこまかに書いたら 

一冊 本ができるのではないかしら

しかも とあるスキー場での インストラクター向けの講習中の

講師が放った一言  それを耳にしたこと が きっかけ

それは31歳の時 シュテムをマスターしてから12年目のことでした


これからは 晴天の日に ゆっくり のんびり 休みながら 滑りたい

もの  



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