りんご泥棒

山形のさくらんぼ、すいか、そして青森のりんご

それぞれの作物が熟し 食べごろになり 収穫時期になるとこれらの被害がニュースになって届く 最近は米の被害も聞こえてくる

 

りんご経営がほぼほぼ軌道に乗り 出荷するまでの収穫量になると 

毎年山のりんご畑には 地元の小学生が社会科見学や遠足に 

そして直接リンゴがなっているところを見て買いたいというお客

更には夜中になると招かれざる盗人も

祖父の頃は被害もそれほどでなかったが リンゴ栽培に反対していた父がこれならいけると踏み 後継者になり リンゴの種類も多くなってきた頃から被害が増えてきた

毎夜のように現れるというりんご泥棒に 色々なアイディアで対策も講じたが 

それほどの効果もなかった 価格の高い品種程被害が多かった

 

ある夜 犬の鳴き声とバイクのエンジン音で目を覚まし りんご畑を探し始めたが人の気配を感じられず小屋に戻ろうとした時バイクを見つけた

父はガソリンタンクのキャップを外し 小屋に持ち帰った

 

山への近道があったがそこは車が通れず 

車やバイクで来る時は遠回りになりしかも舗装されていない砂利道で 

大きな石もごろごろ転がっている

りんご泥棒はずっと続く悪路の下り坂を ガソリンタンクのキャップのないバイクで走る羽目に

どのようにして帰ったのか と翌日お手伝いのおばちゃんたちとこの話で盛り上がった

父は キャップを取り戻しに来るかもしれない とも思っていたかもしれない

兎に角 アイディアにあふれ 咄嗟の機転が利く父であった

それ以降も招かれざる客は後を絶たなかったが

 

どぶろく

近所のスーパーの酒コーナーで見たことのないメーカーのどぶろくが目に留まった

買おうかな とも思ったがこれまで何種類かのどぶろくを買って飲んだが

一度も美味しいと思ったことはなかった 少し飲んで残りは料理に使っていた

あちらこちらの旅先の特区のどぶろくを飲んでも 特設会場の試飲コーナーで飲んでもしかり

違うんだな 私の覚えているどぶろくではないんだな

 

未だ法律で禁止されていない頃 祖父は毎年どぶろくをつくった

そろそろ大丈夫というころ 上澄みを小さい小皿で舐めさせてもらうのが

楽しみだった

時間経過とともに味が変わっていき酸っぱくなった時は本当にまずいと思った

もしかすると 市販されているどぶろくは私が舐めた出来立ての頃のものではなく

時が経過し 発酵が落ち着いたもの? それが一般的などぶろくなのか

 

法律で家庭で作ることができなくなったある日

留守番で一人の時 田舎の親戚が茶色の一升瓶に詰めた白っぽいものを届けてくれた

帰ってきた親がすぐそれを隠したのを覚えている

夕飯時 祖父が どれどれと湯のみに注ぎ口元に持って行ったとたん

大声で笑いだした 牛乳だった

少し残念そうなほっとしたみんなの顔

 

子供の頃 どぶろくを美味しいと思ったのは私だけではなかったのかも

中学生の頃 中学校の道路を挟んだ向こう側に木が生い茂った山があり 

部活でトレーニングのためよく上るところであったが 

そこで中学生数人がどぶろくを作り飲んでいたという話が聞こえてきた

本当かどうか定かではなかったが 数人の中のひとりヤマネコと呼ばれていた

同級生はしばらく学校に来ていなかった

 

 

賢い犬 その2

放し飼いが許されていた頃 柴犬に似た雑種犬がおり

毎日毎日 雨の日も風の日も だいたい決まった時間に家の周りを歩く

見回りをしてくれていると祖父は言う 

老犬になり後ろ片足が不自由になっても家の周りを歩く

ある時 祖父は もうすぐこの犬もいなくなるだろうな と。

言った通り何日かして家に帰ってこなくなった

賢い犬ほど 寿命がくると最期の場所を探しいなくなると

本当かどうか定かではないが 何頭も飼ってきた経験からの言葉か

賢い犬たち

子供のころから家には犬がいた

外に大きな木製の犬小屋が置かれていた

真夏の暑さに耐えきれずか 小屋の下に穴を掘り もっぱらそこに

寝ていた

そのタロウが祖父と山で暮らすことになった

 

ある日の朝早く 犬が泣いている

布団の中で あれはタロウの声だ! いないはずのタロウだ!

と飛び起き 声のする方に行くと

案の定 タロウが裏の犬小屋のあたりをうろうろしていた

祖父に何かあったのだろうか

山にいるはずのタロウが

 

頭を撫でていると首輪に荷札がついていた

その荷札には 祖父の筆で

「今日持ってきてほしいもの ○○ ◇◇ ▽▽」と

犬を放せば必ずいえに戻ると踏んでの祖父の知恵

 

その頃はリンゴもかなりの収穫量で 町の品評会でも最優秀賞を

とるまでになっており 発送業務も大変になっていた

繁忙期には近所のおばさんの手も借り、母親も駆り出され毎日

山に行っていた

手伝いの人か母親が山に来るときに持ってきてほしいものをタロウに託したのだ

しばらくぶりのタロウに会え嬉しく学校に行く前なのに遊んでいた

すると母親が

タロウを山に返したいから線路を越えたところまで連れて行ってと

えっ私にできるの 一緒に戻ってくるのでは と不安に思いながらも

線路を越え小川のあたりまで行く この辺りでいいかな

タロウに向かって

「しっ!しっ!」と追い払うように声を掛ける

何回も何回も

こちらを振り返りながらも タロウはあきらめてか察してか

山の方へ歩み出した

母も祖父もタロウが戻るとわかっていたのか

こうしてその後は しばらく お使い犬として活躍してくれた

 

第一号の荷札の冒頭には ”○○の刺身” と書いてあった

冷蔵庫もない時代 缶詰をたくさん用意していたが

飲んべえの祖父もたまには大好きな刺身が食べたくなっての

思い付きだったのかも

賢いのは犬ではなく祖父だったか

 

祖父との思い出の記

周囲から猛反対されたにもかかわらず

祖父はリンゴを栽培すると言いはり 山の方にりんごを植え

更に 土間、板の間、10畳ほどの畳の間のある小屋を作り 

風呂はドラム缶を利用しての手作りを外に

収穫が済み 雪が解け始める翌春の剪定時までは山を下りるが

それ以外は山に犬のタロウと住み始める

 

10月になると 私はお習字道具一式を持ち祖父のいる山へ向かう 

線路を越え 小川に沿って続く一本道を急ぐ

達筆の祖父から手ほどきを受け 毎年学校を代表して町の文化祭に出品する作品を

書いてきた

今年も選ばれるようにとその頃から練習を始めていたが 祖父が山に住むようになったので私が足を運ぶことになった

 

新聞紙を切り 半紙用のものを準備し 練習はもっぱら新聞紙

お清書用に半紙も用意していくが

 

夜になって 母が用意し持参したおかずと祖父手作りのどぶろくが飯台に並ぶ

私もちょこっと舐める

これが本当においしかった

上澄みだけほんの少しとって舐める

今のどぶろくと全く味が違う

寒かったけれど ドラム缶のお風呂に入りながら 星を眺め・・・・・

私の星好きはこのころからか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然農法 手ごたえあり

今年はプチ田舎でスローライフをしながら自然農法で野菜作りを

と、手始めに5種類の野菜の種を買っておりました

しかし ことしは困難と判断

種はもったいないと それこそ カラスノエンドウが蔓延る庭の一部に

5種類の種を直播できる位のスペースを確保し パラパラと播き

かぼちゃの種だけは鳥に荒らされないよう 土をかぶせ

ほったらかしに

9月に入り 行ってみると

かぼちゃは隣の家にまで侵入し 椿の木に巻き付いて大きな花を咲かせておりました

トマトは支柱無しで 庭を徘徊している様で 花も青い実もいくつかできている

大根は 葉は虫が食べていましたが白い大根が土から顔を出し

 

そして 10月 かぼちゃ 大根 トマト 紫蘇 は収穫し

口にすることができました

かぼちゃは最高においしかった

アスパラは柔らかい葉がもさもさと生えているものの

この後どうなるのか不明

草取りも肥料も一切なし

出来るもんですね 自然農法の本図書館に何冊もありました

来年はそれらの本を読破し 今年以上の収穫を目指しましょ

男性のお一人様ロールモデルも

本日の日経に 伊集院静の「ひとりで生きる」の宣伝が載っていて

195万部突破!の文字が

先日本屋で女性の一人の生き方の本数冊見ましたが

伊集院静のこの本は見なかった

男性のロールモデルのひとつになるか

女性も男性も生き方を探っている